メタバースと現実の越えられない壁

以前の下の記事でも書いた通り、メタバースという仮想空間はゲームと違ってこれといった目的(テーマ)がないというのが大きな特徴と言えます。

メタバースのインフラ化には没入型デバイスが不可欠?

初期のメタバースサービスであるセカンドライフが失敗だった失敗ではない論争というのをよく目にしますが、この論争は両者が理想とするメタバース像の相違から発生してい…

これは大変柔軟に見えますが、実際は何をすればいいのかわからないただのアバターチャットサービスとしか認知されないという状況を作り出しているのだろうと思います。

私が考えるに、メタバースというのは仮想の生活空間であり、そこに生活サイクル、日々の営みが生まれてはじめて価値を持つものと考えています。

しかし果たしてバーチャルな世界に連続性を持った生活は成立するのでしょうか?

私たちが暮らす現実世界というのはいわば壮大なる縛りプレイと言えます。生命を存続するためには食料を調達しなければならないし、寒さや暑さから身を守らなければならない。

そういった制限があるからこそ、人類は長い年月をかけて今の社会を発展させてきて、今の風景があるわけです。

そこには累積した人間の営みがあり、それこそが現実世界の奥行を作り上げているわけです。

バーチャルな世界がチープなのは、そこで生きる人間の営みとその蓄積による世界の奥行が存在しないことでしょう。

たとえ現実のような街の風景が眼前に広がっていたとして、そこに見える建物の窓にそれぞれの人の営みがあるとは想像できない、それがバーチャル世界が薄っぺらくみえてしまう理由です。

ではバーチャル世界に連続性をもった人間の営みを作ることは可能でしょうか?

これは完全には難しいと思いますが、バーチャル世界の生活の基本要素を設計することで類似したことはできるかもしれません。

例えば家屋は現実世界では雨風から身を守る機能がありますが、バーチャル世界ではこの機能は不要です。ただ、プライベートな空間を持つという点では価値があります。

こういったバーチャル空間で価値を持つものをしっかりと抑えてゆくことで生活サイクルを作ることはできるのかもしれません。

ただ短絡的に現実をなぞるのではなく、バーチャル世界で価値を持つものをしっかりと認識して生態系を作ることが大事になるのではないかと思います。

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