終身雇用制度の本当の価値 ― 「属人性」を分解すると見えてくるもの
汎用スキルへの逃避は、従業員にとって合理的な選択です
「この会社でしか通用しないスキルを磨いてほしい」と経営者が考えても、従業員がその要請に応えてくれるとは限りません。
会社にいつまでいられるのか分からないのであれば、どこでも通用するスキルを優先して身につけるのは、個人にとってきわめて合理的な選択です。
いわば、どんな会社という「箱」に入っても使える「パズルのピース」を目指すわけです。
これは、労働経済学でいう「企業特殊的人的資本」の問題として考えることができます。
企業特殊的人的資本とは、その企業で働くからこそ価値を持つ知識や技能です。会社にとっては大きな価値がありますが、従業員からすれば、身につけるために時間をかけても、その会社を離れた途端に価値が下がってしまう可能性があります。
つまり、企業特殊的なスキルへの投資には、常に「回収できないかもしれない」というリスクがあります。
だからこそ、従業員が汎用スキルを優先すること自体は、決して意識の低い行動ではありません。
雇用が不安定であればあるほど、個人は自分自身の市場価値を守ろうとします。
逆に言えば、会社が従業員に企業特殊的な能力への投資を求めるのであれば、会社側も「その投資が報われる環境」を提供する必要があります。
終身雇用、年功的な賃金、退職金などの長期雇用慣行は、こうした投資のリスクを企業側と従業員側で分担する仕組みとして機能してきたと考えることができます。
しかし、ここで一つの疑問が生まれます。
会社に長く在籍する人が増えると、本当に会社は強くなるのでしょうか。
むしろ、誰か一人が辞めても事業が止まらないように、業務を標準化し、誰でも代替できる状態を作った方が、事業の継続性という意味では強いのではないでしょうか。
この疑問を考えるには、「属人性」という言葉を分解する必要があります。
「属人性を減らす」とは、何を減らすことなのか
属人性には、少なくとも二つの異なるものがあります。
一つ目は、個人に閉じた属人性です。
「あの人しか分からない」
「あの人が休むと仕事が止まる」
「あの人が辞めたら顧客対応ができない」
といった状態です。
これは明確な事業リスクです。
特定の社員しか操作できないシステム、特定の担当者しか知らない手順、特定の人間の記憶にしか存在しない顧客情報などは、できる限り組織に移していくべきでしょう。
マニュアル化、業務の標準化、情報共有、複数担当制などによって、個人が抜けても業務が止まらない状態を作る。
これは「属人性を減らす」という意味で正しい方向です。
しかし、問題はここからです。
属人性を減らすことと、人が入れ替わっても同じ成果を出せることは、必ずしも同じではありません。
個人に依存しないことと、組織として再現可能であることは違う
二つ目にあるのが、組織に分散した知識や暗黙知です。
これは特定の一人だけが持っているものではありません。
営業、企画、開発、デザインなど、それぞれのメンバーが持つ知識や経験が、長い時間をかけて組み合わさることで形成されるものです。
例えば、
「この顧客には、この段階では細かく説明しない方がいい」
「この数字がこの水準まで落ちたら、営業より先に開発側が動く」
「このタイプの案件では、最初にこの人の意見を聞いた方が早い」
といった判断があります。
こうしたことは、マニュアルに書こうと思えばある程度は書けるでしょう。
しかし、すべてを文章にして、新しいメンバーに渡せば同じように再現できるわけではありません。
なぜなら、それは個人の知識だけではなく、複数の人間が互いの考え方や能力を理解したうえで成立している連携だからです。
これは「誰か一人に依存している属人性」とは性質が違います。
むしろ、個人に閉じた属人性が「弱さ」だとすれば、こうした組織的な知識は「強さ」になり得ます。
「誰でもできる会社」は、本当に強い会社なのか
業務を標準化することには大きなメリットがあります。
・誰かが辞めても業務を継続できる。
・新しい人を採用しても早く仕事を覚えられる。
・品質を一定に保てる。
・事業を拡大しやすい。
こうした意味で、標準化は企業にとって非常に重要です。
しかし、すべてを「誰でもできる仕事」に変えてしまえばよいわけではありません。
なぜなら、誰でもできることは、他社でもできる可能性が高いからです。
業務を徹底的に分解し、すべてを汎用的な人材の組み合わせで再現できるようにすれば、確かに人が抜けても会社は回るでしょう。
一方で、その会社で長年働いてきたメンバーだからこそできる判断や連携まで失われれば、競合他社との差も小さくなっていきます。
ここには、一つの逆説があります。
事業継続のためには、個人への依存を減らす必要がある。
しかし、
競争優位のためには、組織として蓄積された簡単にはコピーできない能力を残す必要がある。
この二つは矛盾しているように見えますが、実は対象が違います。
減らすべきなのは「個人に閉じた属人性」であり、守るべきなのは「組織に蓄積された能力」なのです。
なぜ長期雇用が組織能力を育てるのか
では、そのような組織能力はどのように生まれるのでしょうか。
一つの重要な条件が、時間です。
同じメンバーが長期間一緒に働かなければ、互いの能力や考え方を理解することはできません。
最初は「この仕事は誰が担当するのか」を一つひとつ確認していたとしても、何年も一緒に働けば、次第に確認する必要すらなくなります。
・誰が何を得意としているのか。
・誰がどの場面で慎重になるのか。
・誰に任せれば意思決定が早いのか。
・どの程度の情報があれば相手は動けるのか。
こうした知識が、日々の仕事の中で少しずつ蓄積されていきます。
そしてある時、それは個人の能力を超えた「チームとしての能力」になります。
この能力は、単純に人員を入れ替えても再現できません。
優秀な人材を5人集めれば、以前の5人と同じ成果が出るとは限らないからです。
能力の高い個人を集めることと、能力の高いチームを作ることは別の問題なのです。
終身雇用が守ってきたもの
そう考えると、終身雇用の価値も少し違って見えてきます。
終身雇用の価値を、
「優秀な社員を辞めさせない」
「企業特殊的なスキルを社員に身につけさせる」
という個人単位の話だけで捉える必要はありません。
むしろ重要なのは、同じ人間関係の中で仕事を続ける時間を確保できることだったのではないでしょうか。
長期的な雇用関係があるからこそ、企業は短期的には成果に直結しない教育や経験への投資を行うことができます。
従業員も、すぐに市場価値として回収できない知識や経験を身につけることができます。
そして、その積み重ねが個人の能力だけではなく、チームとしての能力を形成していく。
終身雇用が守ってきたのは、必ずしも「特殊技能を持った個人」だけではありません。
人が長く一緒に働くことでしか形成できない、組織そのものの能力だった。
そう考えると、終身雇用制度が企業にもたらした価値を、単純な「人材の囲い込み」として説明することはできなくなります。
では、終身雇用でなければならないのか
もちろん、ここから「だから終身雇用を復活させるべきだ」という結論になるわけではありません。
重要なのは、制度の名前ではなく、長期的な関係を築くためのインセンティブが存在するかどうかです。
ストックオプション、長期的な報酬設計、キャリア形成、企業文化、プロジェクトへの継続的な参加など、雇用の絶対的な保証以外にも、メンバーが長く同じ組織に関わり続ける仕組みは考えられます。
逆に、企業が「必要なときに人を入れ替える」という姿勢を強く打ち出しながら、「この会社でしか身につかない能力を磨いてほしい」と求めるのは、従業員からすれば合理性に欠けます。
会社に長くいる保証がないのであれば、自分自身も会社に依存しない能力を優先して身につける。
これは当然の反応です。
企業が長期的な組織能力を求めるのであれば、企業側もまた、従業員が長期的な能力形成に投資できる環境を用意しなければなりません。
「個人は代替可能、組織は代替困難」という状態を目指す
これからの組織に必要なのは、単純に「属人性をなくすこと」ではないのかもしれません。
目指すべきなのは、
個人が抜けても業務は止まらない。
しかし同時に、
長く一緒に働いてきたチームだからこそ生み出せる価値は残っている。
という状態です。
言い換えれば、
個人は代替可能でありながら、組織は簡単には代替できない。
これが理想的な組織の一つの形ではないでしょうか。
業務を標準化し、情報を共有し、個人への過度な依存をなくす。
その一方で、人と人が長く働くことで形成される知識や信頼関係、判断基準、連携まで標準化して消してしまわない。
この二つを両立させることが重要です。
終身雇用制度の本当の価値は、「人を辞めさせないこと」そのものではありません。
人が長く一緒に働くことでしか形成できない組織能力に、企業が継続的に投資できること。
そして、その組織能力が他社には簡単にコピーできない競争力になること。
そこに、長期雇用が企業にもたらしてきた、見落とされがちな価値があったのではないでしょうか。
投稿者プロフィール
- 代表者
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東海大学工学部を卒業後、東芝情報システム株式会社(旧グループ会社含む)に入社。半導体(SRAM)の開発チームにて、Unix環境でのPerlを用いた業務自動化プログラムの開発など、エンジニアとしての確かな基礎と緻密な論理的思考力を培う。
その後、東証上場企業である株式会社ザッパラスへ。Web・モバイルの最前線で、数多くのユーザーに愛されるコンテンツ制作業務に従事。ここで「ユーザー目線に立った魅力的なWebコンテンツの企画・制作ノウハウ」を深く学ぶ。
開発・システム側から見た「堅牢なロジック」と、制作・ユーザー側から見た「伝わるコンテンツ」の双方を実務で経験した強みを活かし、フリーランスとして独立。
現在は、ウイングアーク1st株式会社の「データのじかん」運営チームに参画するなど、大手・中小企業のWeb運営・開発パートナーとして活動。完全在宅でありながら、固定IPの完備や厳格なセキュリティポリシーの遵守を徹底し、企業のインフラや本番環境を安全に支える「チームの一員」として高い信頼を得ています。
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